こんにちは。「ことさきく」運営スタッフの髙橋です。
こちらの「つぶやき」コーナーでは「ことさきく」運営スタッフ――全員成瀬先生の弟子です――が先生の難しい理論をわかりやすく、それぞれの感想を交えながら解説しています。
まずは私と成瀬先生との出会いからお話します。
私は2024年9月にサイマルアカデミー英日翻訳講座の体験レッスンで成瀬先生と出会いました。そのレッスンの最初で参加者に問われたのは、
「吾輩は猫である」を英語にしてください。
というものでした。
私は「え、何でそんなこと聞くの?」と思いながら、
I am a cat.
と訳しました。他の参加者の答えもほぼ同じだったと思います。
ちなみに私は26年ほど国際機関の東京にある事務所で働いており、プレスリリースなどの翻訳も仕事の一環でしたので、翻訳はまったくの素人だったわけではありません。自己流でしたが、その機関が発行した本を翻訳して出版社から出版してもらったこともあります。
でも、この体験レッスンで私の翻訳に対する考え方は180度変わりました。
まずは日本語文法からやり直しだ、と。
このときに初めて知った言葉が「モダリティ」でした。
このモダリティという言葉の意味は「広辞苑」には次のように書かれています。
モダリティー【modality】[言]話し手が或る事柄についてもつ判断の内容。事柄が事実である可能性の程度や、命令・義務・許可など。日本語では「きっと」「たぶん」などの副詞、「ようだ」「らしい」などの助動詞のほか、「はずだ」「かもしれない」などさまざまの語句で表す。法性。→法
ぜんぜんわかりません(笑)。
次に「日本国語大辞典」
モダリティ[名]({英}modality 「様相」の意)
(1) 心理学で、視覚・聴覚・触覚・味覚などそれぞれの感覚器による感覚。
(2) 文の中で、叙述内容に関する話者の心的態度を表す部分。
この(2)の方が言語学のモダリティの意味です。こちらの方がなんとなくわかります。
そして成瀬先生のおっしゃるモダリティ(ベースになっているのは数々の著名な言語学者の理論です)はこちらの意味に近いですが、それでも日本国語大辞典は一面しか説明していません。
日本語の文は次のように三層構造になっています。
1)命題:認識や思考の中核にあるもの、言いたいことの中心。
2)対事的モダリティ:命題に対する主体的判断。
3)対人的モダリティ:命題や対事的モダリティを相手に伝える際に配慮すること。丁寧表現など。
「吾輩は猫である」に戻ると、
命題:私が猫であること。
対事的モダリティ:「~は」は、「私(吾輩)」がこの文の主題であることを示す。そのことを「である」で断定している。
対人的モダリティ:「吾輩」「である」
となります。
今回は、対人的モダリティのうちの「吾輩」について考えてみましょう。
自分のことを「吾輩」という人から受ける印象はどのようなものでしょうか。
男性、わりと年配、ちょっと尊大・・・
この文が面白く感じられるのは、それが人ではなく猫だから。そう明記されていなくても日本語話者なら読み取れるものだと思います。それが日本語の「こころ」だと思います。
それを考えて英訳しようとすると、英語の I にはそういうニュアンスはまったくありませんね。
女性でも、子どもでも、みんな自分のことを I と言いますから。
だから、「吾輩は猫である」は I am a cat. ではダメなのです。日本語にある「こころ」が表現されていないのです。I am a cat.にはモダリティはまったくないです。命題しかない。
では、どう訳せば良いのか?
私はまだ回答を出せていません。ビジネス翻訳者なのでそういう文学的表現のプールが少ないのです。これから時間をかけて表現を蓄えていきたいと思っています。
これをお読みになった方は是非「吾輩」の訳案を教えてくださいませ。
以上、今日のつぶやきでした。
(運営スタッフ:高橋)
